今回の地震で、多くの尊い命が失われてしまったことに対し、深い哀悼を表します。また、罪なき多くの方々の平穏な生活が脅かされたことについて、心よりお見舞い申し上げます。そして、今この瞬間も救援に尽力されている関係機関の皆さんの努力に、敬意を表します。
「壊滅」「国難」「未曽有」「戦後最大の危機」…
映画の中でしか聞いたことのないような言葉が次々と飛び出し、目を覆いたくなるような映像が飛び込んでくる。悪い夢を見ているように思われたが、翌日も、また翌日も、ニュースは変わることなく惨状を伝えつづける。
私は大学4年のとき、京都から北海道まで自転車で旅をした。
福島の浪江町では、親切な方に家に泊めていただいた。原発職員のお父さんはいま、戦っているだろう。家族の方は、どういう思いだろう。仙台には友人が複数いる。気仙沼には、大学の同級生がいる。松島から石巻、そして三陸海岸の街々で出会った方々と、穏やかな風景は、今でも鮮明に思い出される。変わり果てた風景を見て、ただただ、悲しみが込みあげた。当然、連絡をとることは出来ない。無事を祈ることしか出来ない。
私の大学のゼミの教授は、インドネシアのスマトラ沖大地震・津波の救援活動を行っていた。そこから届けられた生々しい写真や映像と、変わらない現実を付きつけられる。先進国の文明も備えも、自然の脅威の前には、無力だった。
考えれば考えるほどに、以下の思いに集約された。
●今この瞬間も生きていられることは、決して当たり前ではないということ
●今回の災害から、多くを学び、教訓として生かすことができるということ
●同胞の復興に対し、でき得る具体的な行動をとろうということ
そして、私は想定される東海地震の震源域にほど近い、静岡の生まれ。ふるさとに、多くの愛すべき人が住んでいる。今回の件を、決して他人事にしてはいけないと強く感じる。
今も続く救援と後の復興に向けて、個々人がどのように協力ができるのかを、会社や友人の枠を超えて、多くの仲間たちと共に考えていきたいと思う。徐々に輪ができつつある。人間は自然の前に、時として無力だ。しかし、それでも人間には、前を向いて歩む力がある。