今日、以前一度ネタにした合唱団の本番がありました。
京都近郊の田舎の道の駅で、地域の音楽サークルが入れ代わり立ち
代わり演奏する小さなコンサートでした。
京都は金曜から強く冷え込んでいて、今日も案の定寒く、半屋外の環境で
演奏者以上に観客に堪えるような状況でした。椅子は約80脚。最終的には
30名程度の座り客と十数名の立ち客が出る程度でした。
少し遠く、交通も不便でしかも寒い中、私達の演奏は30分くらいしか
ないので友人に声もかけ辛く(それでも来てくれた人がいましたが)
この状況でこのくらいの人が聴いてくれていたのは少し予想外でした。
それが、3年越しで活動して初の一般客に解放する本番。仕事の片手間で
やってる小さな合唱団の、ささやかなデビューでした。
仕事の片手間…と言っても、メンバーの中にはこの活動に生活のかなりの
ウエイトをかけている者もいます。プロになろうなんて思ってませんが、
だからといって安易なところでとどまろうとはせず、少しづつ手を伸ばして、
わずかでも先に進む…それぞれが与えられた時間と環境の中で、そんな
ふうに前進してきた日々でした。
そんな風に決して少なくない時間を費やして、たった30分の本番に向け、
一円にもならないことに労力を払うのは、はっきり行って非合理的で、
職業人生の設計上も何の足しにもならないのですが、しかし、そういう
非生産的な時間(まぁ、そうとは思ってませんが)にこそ新たなひらめきや
発見が満ちているように思えてなりません。
昨日で言えば、あのような場所にやってきて、ゆっくり聴いてくれるのは
基本的には年寄りです。そういう層に楽しんでもらうためにはどんな曲を
やればいいのか。音楽的表現以外でも、司会はどんなことを話題に
すればいいのか。どんなスピードで喋ればいいのか。プログラムの文字の
大きさは?内容は?考えることは無数にあります。
だからと言って、観客に迎合して受けの良い曲ばかりをやっていると
自分たちの個性を見失います。こういう時代だからこそ「エッジの効いた」
部分は必要です。皆、「普通」を見飽きています。でも、素人がその「個性」
とやらを狙ってやると嫌らしくもなります。そんな微妙なバランスを考える
のも、面倒といえば面倒ですが、面白いものです。その「考えているか」
というところの差が、見る人には伝わってしまうのです。選曲や音楽自体
だけでなく、入退場の仕方、司会者の振る舞いやプログラムの文言などで。
そして、仕事を思います。考えることは同じです。お客さんに何かを
伝えたい。お客さんの役に立ちたい。そういう内発的動機というのは、
日々の数字を追いかけていると(とくに小さな組織では)置いてきぼりに
なりがちですがやはりそういう所で差がつくものです。
というか、そういう所が楽しいのです。
結果数字(会社の売上・利益や自分の給料)がついてくる。
でも、そういう思いって、単に実入りの良し悪しだけでは身につかないし、
湧き出ても来ません。やっぱり、好きな事をするっていうのも、
大事なのかも。もしくは、自分のしていることを、売ってるものを好きに
なるとか。
ともかく、決められた時間、決められた場所に座って同じ作業を回す
だけではなく、各人がそれぞれの持ち場で、自分や他人の経験の中で
改善点を考える。実行する。検証する。そして新たな経験を蓄積する。
そうやって少しづつ前に
進んでいく。どこで何やってても、それが「人間」の営みなのだと、
改めて思うわけです。
長くなったので、今日はこのへんで。
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