今をときめくアイドル達に「坂」のつくのが多かったり、ちょっと前に終わり
ましたがNHKのブラタモリでは「高低差」がやたら取り上げられていたり、世間
では「坂ブーム」が来て、すっかり定着したのだなと勝手に思っています。
それに、今はとにかく寒い時期なので、手っ取り早く身体を動かして温まるに
は坂道を登るのが一番ですね。
少々強引ですが、今回のテーマは『京都の坂道』です。
「三年坂(産寧坂)」「二年坂」
言わずもがな、京都は盆地です。
街中は平らな印象もありますが、山に囲まれているので、当然周縁部には坂道
が多いです。
京都で名のある坂、筆頭は清水寺の近くの「三年坂(産寧坂)」「二年坂」で
はないかと思います。
三年坂の元ネタと言えば、「三年しか生きられない」とか「三年寿命が縮む」
という噂ですね。国語の教科書でもそんな話がありましたっけ。
全く非科学的ですが、要は「足元に気をつけて」という注意喚起の意味合いが
強かったようです。
なお、三年坂を「産寧(さんねい)坂」とも呼ぶのは、清水寺の塔頭・泰産寺
にある「子安の塔」に安産祈願の信仰があり、「産(うみ)寧(やすき)坂」
の字をあてたとも言われています。
なお、産寧坂に続く「二年坂」はともかく、「一念坂」もあるのはご存知です
か?
どこにあるのかちょっとピンときませんね。
「ねねの道」の南端、維新の道との交点から、ちょろっと南東に伸びている
100mにも満たない小路のことを言うようですが、その名の由来は単に「二年坂
の下に繋がっているから」。
一年で死なずに済んでよかった!
「清水坂」「五条坂」「茶わん坂」
先ほどの産寧坂も含めて、どれも清水寺関連ですね。
「清水坂」は、清水道バス停から清水寺へ続くメインの参道、「五条坂」は五
条大橋から東山通りとの交差点(東山五条)までの国道1号線の大通り、「茶
わん坂」は、東山五条から清水寺に向かう坂道です。
このうち「茶わん坂」については、かつては付近に清水焼の窯元が密集してお
り、なかでも「茶碗屋久兵衛」という人物が江戸時代初期に清水焼の名を広め
たことから、彼にちなんで名づけられました。
外国人観光客でごった返す清水坂に比べれば、人も少なく歩きやすいので、素
早く清水さんにお参りしたければおすすめのルートです。
「たらたら坂」
修学旅行生で賑わう新京極…のイメージでしたが、それも今は昔。
現在の新京極を埋め尽くすのは、国籍もさまざまな外国人観光客です。
この新京極通の北の端は三条通との交差点、三方ともアーケードに覆われたT字
路で、新京極はここから緩やかな下り坂で始まります。
一方、すぐ西側を南北に並行している寺町通には坂がありません。
これは、昔の鴨川の流路が関係しており、秀吉の時代、三条大橋は新京極のす
ぐ東側に架けられました。
このため、寺町側は古くからの街なので平坦で、新京極はもともと河原だった
ために一段低くなっている、というのが真相のようです。
そもそも「京極」とは「都のはずれ」という意味ですから、その点でも合点が
いきます。
「西大路通」
師走の全国高校駅伝、そして年が明けると全国都道府県対抗女子駅伝。
都大路を駆けるレースは冬の風物詩ですが、西京極を出たランナーたちが西大
路通に入ると、アナウンサーは盛んに「ここから長い坂道が続きます」「この
登りをどう攻略するかが勝負です」と喧伝します。
京都の街は盆地ですが、北へ行くほど高くなっているのは知られています。
特に、北西側が高くなっており、千本北大路交差点の標高は93m。
京都駅が同30mなので、京都タワー(高さ131m)の半分くらいの高低差があり
ます。
特に傾斜がきつくなるのが今出川通以北で、西大路通と今出川通が交差する北
野白梅町交差点の標高が60m。
(京都駅のある)七条通→今出川通は距離にして5km、今出川通→北大路通が
2kmなので、今出川から一気に登っているのが分かります。
そういうわけで、西大路通だけでなく、都大路の南北の通りはほぼ坂!
北へ向かうことを「上がる」、南へ向かうことを「下がる」と言いますし、
京都は全体が坂の街、と言えなくもありません。
「狐坂(きつねざか)」
五山(大文字)送り火には、「妙」「法」の字がありますが、その二文字の真
ん中を抜けていく道が「狐坂」です。
京都市街から京都国際会館がある岩倉地域へ向かう道の一つですが、他の道と
違い、直接山肌に取り付き、トンネルで貫く比較的新しい道です。
新しいと言いつつ、つい20年ほど前に緩やかな高架道路が完成する前は、2車
線路とは言えヘアピンカーブの急坂で、平坦かつ直線的な道が多い京都市街地
にあって希少な山道らしい山道、それもとんでもない急カーブなので、運転中
に肝を冷やした方も多いのではないでしょうか。
さて、この坂道になぜ「狐」の名が付いたか。
確かな学説はありませんが、キツネやタヌキが出そうな周辺環境にちなむとか、
狐にまつわる土着の伝説や信仰の存在、また木々が茂る坂を意味する「木摺坂
(きづれざか)」や「木列坂(きつれざか)」の転訛とも言われています。
「老ノ坂(おいのさか)」
京都と亀岡の間、国道9号線・旧山陰道にある市境の峠です。
この道は、京都盆地と亀岡盆地を繋ぐ唯一まともな道…のはずが、いまだ片側
1車線・対面通行の山道で、旺盛な交通量に見合った設備とは言い難いです。
また、すぐ脇を並行して高速道路の京都縦貫道が通っていますが、なにせ同じ
峠なので、大雨や大雪で通行止めになるときは共倒れになることがほとんどで、
亀岡盆地は毎年何回かは陸の孤島と化します(そういう時はJRも止まります)。
さて、この妙な「老ノ坂」という名は、都人の姨捨山だったとか、亀山城主・
明智光秀が老親を負ぶって登ったとかではなく、もともと「大江ノ坂」と呼ば
れており、それが転訛したもののようです。
多いですね、なまって名前が変わる展開。
もっとも、明治期までは識字率が高くなかったので、致し方ない話ではありま
すし、道の歴史は近代に始まった学制の歴史よりも、ずっと長いのです。
坂道あるところに物語あり。
皆さんの住む街にも、有名な坂道はありますか?