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ずいきまつり

芋茎(ずいき)は、サトイモや京野菜のエビイモの茎のことで、「ずいきのたいたん」などとして京都の家庭でも親しまれてきた食材です。
もっとも、アクが強くて皮を剥いたり下処理にも手間がかかるので、いただくと「おう…」と思わず構えてしまう食材でもあります。

京都には、この「ずいき」が主役のお祭りがありまして、その名もズバリ「瑞饋(ずいき)祭」。
10月1日から始まる北野天満宮の祭礼のひとつで、京都の秋祭りの先駆けとも言われています。

■瑞饋祭の様子

毎年、10月1日の「神幸祭」から始まります。
御本社の北野天満宮から鳳輦(ほうれん/小型のお神輿)に乗った神様は、JR円町駅の近く、北野中学校の西隣の御旅所(おたびしょ/神様の一時的な滞在場所)に遷ります。
その後2日間は御旅所でさまざまな奉納行事が行われ、4日の「還幸祭」ではお神輿に乗って、氏子の町内を練り歩いた後で御本社に戻ります。

そんな瑞饋祭で有名なものは、なんといっても御旅所で披露され、還幸祭で巡行する「瑞饋御輿(ずいきみこし)」です。
テレビなどでもたびたび取り上げられていますが、神輿の本体、屋根、付属品のあれもこれもが色とりどりの野菜で飾り付けられており、圧巻の一言。

芋茎(ずいき)は屋根に使われ、さながら茅葺きならぬ「芋茎葺き」、赤と緑のコントラストが鮮やかです。
お神輿は1日から4日の巡行まで、御旅所で一般に公開されています。

この神輿づくりや祭礼の運営は、主に地域の住民で組織される「西之京瑞饋神輿保存会」が担い、装飾に使われる野菜は、会員自らが育て、収穫したものを用いています。

■瑞饋神輿

瑞饋神輿は「生もの」ですから、保存ができず、毎年作り直しです。
神輿づくりは祭礼の1ヶ月前、9月頭から取り掛かられ、会員の皆さんは各々の仕事を終えた後に集まり、何度も夜なべをして作り上げていきます。

神輿の装飾は長く続く祭礼にもかかわらず意外にも自由で、今年はMLBで大活躍した大谷選手のシルエットが千日紅(ドライフラワーなどで用いられる花)で描かれていました。

ちなみに昨年は優勝した阪神と流行語「A.R.E」がモチーフに選ばれるなど、実に自由です。
一帯は西陣織の職人も多い地域柄でもあり、職人気質とその遊び心が現れているようで、大変な苦労があるだろう中、微笑ましくもあります。

京都というと歴史や伝統にはうるさいイメージがあるものですが、内実は結構遊びがあって、こういうギャップもこの街の魅力の一つだと思います。

一方、会員が育てた野菜とはいえ、現在は都市化の進展もあって農家が少なくなり、加えて極端な夏の暑さなど気候も変わっていく中で、毎年確実に同じ時期に一定量の野菜を収穫し続けるのは大変なことです。

苦労の末にようやく完成する瑞饋神輿ですが、生ものは当然土へ還ります。
また来年、新しく作らなければなりません。

■瑞饋祭の起源とこれから

瑞饋祭は、もとは菅原道真が彫った木像を随行の者が持ち帰って祠を建てておまつりし、秋の収穫時に野菜や穀物をお供えして感謝を捧げたことが起源であるとされています。

この随行の者が「西京神人(にしのきょうじにん)」といわれる人々で、現在の中京区と上京区にまたがる「西ノ京」と呼ばれる地域に暮らし、古来より北野天満宮に出入りして奉仕を行う見返りとして酒造りに必要な「麹(こうじ)」を独占的に扱う傍ら、農業も営んでいました。

現在の住所表記において「西ノ京」が付くエリアはかなり広大ですが、西京神人が暮らした瑞饋祭の舞台は、現在のJR円町駅にほど近い、概ね丸太町通りより北側、今出川通りより南側、西大路通りを挟んだ東西のエリアです。

長らく都市と田舎の境界であった西ノ京ですが、この半世紀の間は急激な都市化、宅地化の波に洗われ、祭の継続は困難が増しています。

それでも、昭和の中ごろまでは職住近接の街で、職人たちは地域で暮らしを完結させていました。人々は住居兼職場で働き、買い物は仕事の合間に近所の商店で済ませていました。
だからこそ、ある程度時間に融通が効き、祭りの時期には、当然のように祭りを優先したのです。

しかしながら、サラリーマン家庭が増えるにつれ、朝早くから夜遅くまで、地域に人がいないことが当たり前になりつつあります。
共働きが増え、専業主婦家庭が減り、子どもも塾や習い事で忙しくしている中、祭りの担い手が減っていくことは致し方ないことのように思われます。

昔から脈々と続いてきた祭礼、その思いをどう次代へと受け継いで行くのか。
京都だから特別、ということはなく、模索が続いています。