自動車交通における京都の玄関口・名神京都南インターのすぐ南に「城南宮(じょうなんぐう)」という神社があります。
交通安全の神様として知られており、市中では城南宮のステッカーを付けて走っている車、タクシーやトラックなどもそれなりに見かけます。
しかしながら、京都市外での知名度はそれほど高くないかと思うので、取り上げてみます。
城南宮の「城」とは、平安京のことです。
城南宮は、いまから1200余年前の平安京の建設にあたり、国常立尊(くにのとこたちのみこと)を祀ったことが起源です。
平安時代後期には、白河上皇や鳥羽上皇によって辺り一帯に城南離宮(鳥羽離宮)が造営され、院政の中心地となります。
その中心に位置する城南宮は、城南離宮の鎮守として徐々に存在感を増していきます。
このあたりは今も昔も鴨川と桂川の合流地点であり、また山陽道(西国街道)も通ることから交通・物流の要衝でした。
故に、方違(かたたがえ)の宿所として多くの皇族・貴族が滞在しました。
方違とは、遠出をする際、目的地が忌むべき方角にあたる場合、前夜に別の方角に行って泊まり、改めて別の場所へ行くようにすることです。
現代人とはずいぶん感覚が違いますが、平安時代はこうした風習があったんですね。
位の高い人が京から当時流行っていた熊野詣に出かけるときなどは、一旦城南宮に泊まったのです。
こうした背景をもって、城南宮は後に「方除(ほうよけ)の大社」として名を馳せることになります。
方除とは、方角や方位に起因する災いをよける、という意味です。
具体的には、引っ越しや旅行の際に、知らないうちに悪い方角に行ってしまう、あるいは、家の増改築などで悪い方位の所を工事して災いに見舞われる、なんてことを防ぐためにお参りする神社です。
そんな城南宮ですが、南北朝時代には戦乱の影響を受け、城南離宮を含めて一旦荒廃してしまい、その後再興されるのは江戸期に入ってからです。
今境内に残る建物は全て近代以降に建てられたもので、平安時代の名残はとどめていません。
明治に入ると、「宮」は天皇由来の神社でないと名乗れないということから「真幡寸(まはたぎ)神社」に名前を変えさせられています。
しかし、1968年には再び「城南宮」の名を復活させ、現在に至ります。
ちなみに今も境内には、こじんまりした真幡寸神社があります。
ここまでは、神社としての歴史ですが、現在の城南宮は、なかなかにカオスな様相です。
まず筆頭は「自働車の茅(ち)の輪くぐり」。
市民の間で城南宮を有名にしているのは、この行事によるところが大きいと思います。
毎年7月の頭になると駐車場に直径5メートルの巨大な茅の輪が出現し、お祓いを受けた後、自家用車やバス、トラックに乗ったままこれをくぐり抜けます。
いわば「ドライブスルー・交通安全祈願」。
この時もらえる城南宮の青いステッカーは京都の街を走る自家用車やタクシーによく貼ってあります。
このステッカーの宣伝効果?が高すぎて、「方除」より「交通安全の神様」との印象が勝ってしまっているように思います。
「曲水の宴」も有名です。
奈良時代から平安時代にかけて宮中で催された歌会を再現した行事で、平安装束を身にまとった7人の男女が、神苑内の小川のほとりに座り、川を流れ来る羽觴 (うしょう=盃を運ぶ鳥形の船)が目の前に着くまでに歌を詠み終えると
いう趣向です。
とても画になるので、テレビでもよく取り上げられます。上手いなぁ……。
「神苑(楽水苑)」もすごいですね。
平安の庭、室町の庭、桃山の庭、城南離宮の庭と、徐々に拡張された庭。
目下売り出し中なのは「源氏物語花の庭」という、神苑全部をひっくるめた「呼び名」。
源氏物語に描かれた80種あまりの草木が植栽されているので、って事なんですが、まぁ、なんというか、大河ドラマもありますし、抜け目ないというか、商魂たくまし…あ、なんでもないです。
一応、源氏物語の主人公・光源氏が建設した「六条院」をうらやましく思った白河上皇が、院政の拠点となる城南離宮の造営にあたって参考にしたとかどうとか。まぁ、そうかもしれませんし、そうではないかもしれませんね。
少なくとも、今我々が目の当たりにする神苑は、城南離宮の生き残りではなく、昭和に入ってから作った庭なんですよね。
(中根金作という、現代の小堀遠州の異名を取る巨匠の傑作です)
ただ、ここの「しだれ梅」は近年インスタ映えスポットとして大ヒットし、2月下旬から3月の始めくらいはもう大賑わいです。
観覧料もぐっと上がります。
いやぁ、商魂たくま…なんでもないです。
そもそも、冷静に考えれば、梅やら桜やら庭を愛でるとか、ドライブスルーとかは、寺の来歴とか方除とは、あんまり関係ないわけです。
もちろんそう言い切れはしませんが。
でも、もうすっかりインスタ映えスポットだし、実際客も増えたし、商売のセンスは冴えわたっています。
お参りするなら、交通安全よりも商売繁盛の方がふさわしいのでは?と思うほどです。
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好き放題に書いてきた城南宮ですが、ちょっと行きにくいのが、また良いんですね。
最近の清水寺や金閣寺などの「有名スポット」は、インバウンドのお客様でごった返しており風情もへったくれもありません。
その点、城南宮ならまだ落ち着いて見られますし、お庭でまったり、ほっこりするなら、むしろ大量に植えられたツツジが見ごろを迎えるこれからが最高です。
しかし、こうして考えると、京都とか、そこにある寺社仏閣に人々が求めるものの本質って、何なんだろうなと思わずにはいられません。
祭神とかそのご利益とか難しいことなんて考えず、パワースポットっぽい場所で物見遊山に耽りたい、これこそが観光客の本当の心でしょう。
そして、無節操とも言える城南宮の商品開発(?)は、城南離宮として廃れてしまった当地が、再び洛中洛外の人々に目を向けてもらうために、なりふり構わず取り組んできたマーケティングの結果なのかもしれません。