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源氏物語と京都 後編

前回の投稿時はまだ放送前だった「光る君へ」が、ついに始まりました。
ところが、視聴率は低迷気味なのだとか。

歴史好きの中でも、主導権争いのために武力や知略の限りを尽くす「戦国」や「維新」モノは人気が出やすいですが、平和が続く平安時代は「退屈そうで興味ないわ~」という方も多くいらっしゃるようです。

ま、何を隠そう私自身がそのクチだったのですが、いざ蓋を開けてみると、主人公の紫式部と藤原道長のほぼロミオとジュリエットな展開を縦糸に、周りの魑魅魍魎(ちみもうりょう)なオジサン達が繰り広げるゴッドファーザー的闘
争を横糸に、めまぐるしく進んでいく物語は高カロリーです。

今のところ、近年の大河にありがちな安っぽい合戦の合成映像を見せられるよりよほど画面に引き込まれていますので、この調子で突き進んでいってほしいと、密かに応援しています。
NHKの回し者のようですが、皆さんも一緒にいかがですか?

■源氏物語のふるさと

紫式部が描く源氏物語、ゆかりの寺と言われているのがお隣・滋賀県にある石山寺です。
現地はロケ地としても公表されています。

石山寺は、大津の街の南、琵琶湖から唯一流れ出る瀬田川に沿って山が迫って来る辺りの、珪灰石(けいかいせき)でできた岩盤の上に建っている真言宗の寺院です。

紫式部が執筆活動にあたった本堂の居室は「源氏の間」と言われており、石山寺に籠り琵琶湖に映る月を見渡して物語の着想を得た、とありますが、ここからは湖面は見えない模様。
とは言え、高低差もあって広い境内ですから、いろいろ歩き回っていればアイデアも浮かんできそうです。

ちなみに本堂は1096年の建設で滋賀県最古の木造建築で、国宝です。
没年不詳の紫式部ですが、1096年まで生きていた確証はありませんから、この源氏の間に本当に本人が座っていたのかとなれば、やや心もとないところです。
とは言え、紫式部の時代よりも前からずっと残っているこの寺で物語が執筆され、千年後にドラマ撮影の舞台となるというのは、なかなかロマンのある話だと思います。
この1月には、石山寺の山門脇に大河ドラマ館も設置されました。

■宇治へ

石山寺から、そのまま瀬田川を下っていくと、宇治川ラインといわれる峡谷、天ケ瀬ダムを経て源氏物語最後の十帖の舞台・宇治へ出ます。

宇治は貴族たちの別業地として嵐山と並び人気がありました。
確かに、宇治橋から眺める山々は、渡月橋から見る景観によく似ているように思います。
今は電車を使えば御所からでも1時間足らず、京都駅からだと20分ほどで着いてしまう距離ですが、当時は洛中から牛車で6時間もかかったそうですよ。

さて、京都市内に平安時代の遺構は、石碑や標柱を除けばほぼ存在しないことは前回述べました。往年の平安貴族の暮らしや息遣いを感じることは、難しいのが実情なのです。

その中で、常設展示で平安時代の様子を見せてくれる貴重な場所が「宇治市源氏物語ミュージアム」です。
展示自体は数十分でささっと見られてしまう規模感ですが、館内でのみ上映されている映画は割と凝っていて、時期や時間によっても掛け替わり、興味深いです。

また、10年前まで京都府下最大規模として実施されていた「宇治川花火大会」では、紫式部にちなんで紫色の花火が多く打ち上げられていました。
ミュージアムが「宇治市営」であることも含め、源氏物語は宇治市の町おこしのシンボルであり続けてきたことがよくわかります。(なのにドラマ館は大津に先を越されてしまった……)

ちなみにミュージアムの目と鼻の先にある「宇治上神社」は、貴重な平安時代の本殿が残されており、世界遺産にも登録されています。

■平等院

言わずと知れた十円玉。
藤原道長の別荘を息子・頼通が寺に改めたのが起源とされています。
広大な境内に足を踏み入れれば、別荘、どんだけでかいねん!と思わざるを得ません。

池の中に鳳凰堂が建つレイアウトは極楽浄土を表す「浄土式庭園」と言われています。道長の成功ぶりは彼自身に「この世のすべてを手に入れた」とさえ言わしめたわけですから、そりゃ極楽も手中ですわなぁ。

でも、今はこうして名も無き市民が気楽に「格別の別荘」に入り、自由に記念写真を撮ったり、冷暖房完備の宝物殿では最高の状態で保たれた宝物を思う存分眺めたりできるのだから、平民にとってはとても良い時代になったのだろう
と、しみじみ思ってしまいます。

なお、鳳凰堂は平安時代に建てられ、幾度もの修繕を経てそのまま残されています。前回触れましたが、応仁の乱で焼き尽くされた京都市街には、それ以前の建物はほとんど残っていません。
したがって京都府下の平安建築は、ここ平等院と近くの宇治上神社、冒頭に紹介した石山寺の本堂、醍醐寺境内の五重塔・金堂など、限られています。

―――

2回に分けて源氏物語、そして平安時代の文化を今に伝える京都と周辺の場所を巡ってきましたが、建築や遺構は思いのほか残ってないんだなぁ、というのが率直な感想です。

ただ、平安時代の王朝貴族の文化を背景に生まれた織物、友禅などの染色技術、漆器や扇子などの工芸品や仏像、葵祭などの祭礼はいまもこの地に受け継がれています。

そして源氏物語の中に息づく人々の鼓動、喜怒哀楽は、千年の時を超えて平安時代、確かにここに人々が存在し、懸命に生きたのだという事実を、鮮やかに伝えてくれています。
ドラマとあわせて、一年間じっくりと楽しめそうです。