和束(わづか)町をご存知でしょうか。
京都市内からクルマでおよそ1時間、40kmほど南東の京都府南東端に位置する小さな町です。
伏見区と同じくらいの面積に、人口約4,500名ほどが暮らしています。
ここは宇治茶の里として有名で、町内いっぱいに広がる茶畑の景観が美しく、「日本で最も美しい村連合」に加盟しています(府内では他に舟屋が立ち並ぶ日本海側の伊根町が加盟)。
さて、みなさんお馴染みの「宇治茶」、宇治抹茶とか、宇治金時とか、いろんなイメージがあると思いますが、どこで生産されているかは意外に知られていません。
建物でびっしり埋め尽くされた京都盆地や、平等院がある宇治市街で茶畑を見かけることはまずありません。
それもそのはず、商標としての宇治茶の定義は京都・奈良・滋賀・三重の四府県産茶で、かつ京都府内業者が府内で仕上・加工したものである、とされているのです。
京都府外のお茶が混じることに違和感があるかもしれませんが、この四府県は地理的に隣接しており、ちょうどこれらの県境が交わる京都府南東の山間地には、広大な茶畑が広がっています。
お茶の文化は今からおよそ800年前の鎌倉時代に中国から入ってきましたが、本邦における始祖は明恵(みょうえ)上人です。当コラムでは栂ノ尾高山寺を取り上げた回がありましたが、その境内に植えられたのが日本で最初の茶畑だといわれています。
のちにお茶の木はより栽培に適した宇治に植えられ、徐々に南下して行く中で生産量を拡大し、宇治川流域にとどまらず奈良や滋賀、三重へ波及していったと考えられています。
江戸時代には宇治田原町の永谷宗円という茶農家が、茶葉を乾燥させながら揉むという日本独自の「青製煎茶製法」を発明しました。これが今日に続く煎茶・緑茶で、宇治は「日本緑茶発祥の地」といわれるようになりました。
さて、新幹線から見える有名な静岡県の牧之原大茶園は、明治以降の開墾によるものなので比較的新しく、機械も用いた大規模な生産を得意としています。
対して、宇治茶は多品種少量生産を持ち味とし、特に碾茶(てんちゃ)や玉露(ぎょくろ)などの高級茶の生産が盛んです。
そうした宇治茶生産地の中でも、中心と言えるのが和束町です。
京都府下の茶園面積および生葉生産量の半分程度を、この小さな町が占めています。
町内にはいたるところに急峻な斜面を開墾した見事な茶園が広がっており、その独特な景色を目的に、外国人の観光客も多く入り込んでいます。
和束町のまちづくりのスローガンは桃源郷ならぬ茶源郷(ちゃげんきょう)です。
今でこそ知る人ぞ知る宇治茶のふるさとですが、いかんせん京都府南部のお茶は一緒くたに「宇治茶」とされてしまうので、なかなか知名度が上がりません。
それでも、一度訪れるとその独特の雰囲気に魅せられる方も多く、近年では移住者や、後継者難の茶園を継ぐIターン者も多くいるようです。
町のみどころも京都市内や他の農村地帯とは一味違い、茶畑ウォーキングツアーやお茶摘み体験、お茶の淹れ方教室、利き茶、農家民宿などの体験型観光が充実しています。
新しいカフェやレストランも点在していて、食事にも困りません。
和束町の中心にある和束茶カフェでは、小高い山の上にあるモダンな茶室「天空カフェ」の鍵を貸してくれます。山々と町内の茶畑を見下ろしながら、貸切の空間で緑茶をいただくのは、他では味わえない素晴らしい時間です。
しっかりと教えていただいた手順に沿って丁寧に淹れた緑茶を口に含むと、もちろん茶葉の質が全然違うのもありますが、尋常でない「旨味」が広がります。
渋みとも違うし、単に風味とか、香りと言っては片付けることのできない、深い味わい。
これは是非現地で体感してほしいものです。
茶源郷という名がそのまま当てはまるような美しい和束町、移住者が増えているとはいえ、急傾斜地で手作業中心の重労働を強いられる茶農家は、それ以上のペースで減っているのも現状です。
町の人口も減少傾向で、ついにこの春、町内を走るバス路線も大きく短縮されてしまいました。
一方で、来年には宇治田原町との間に犬打峠にトンネルが開通し、新名神の開通と併せるとクルマでの来訪は飛躍的に便利になります。
(一方、外界と隔絶した「秘境感」は格段に薄まってしまうでしょう。)
都の影響を受けながら育んできた独特な文化や景観が今も色濃く残る「和束町」ぜひ訪ねてみてください。