京都駅からバスで太秦映画村や嵐山方面へ向かおうとすると、C6乗り場から民営「京都バス」の「73系統」嵐山行きに乗るのが一般的です。
ところが、すぐに隣のC5乗り場からは、同じ「73系統」で、公営「京都市バス」の洛西バスターミナル行きが出ています。
本件、ただでさえ複雑な京都駅バス乗り場でも特にややこしく、地元の京都新聞に取り上げられたことさえあります
コロナ禍前のインバウンド花盛りだった頃は、路線図片手に市バスへ乗り込んでしまう外国人観光客が絶えなかったようで、運転手による「嵐山ノー!」アナウンスが連発していたとか。
さらに、ふたつのの73系統が目指す「嵐山」と「洛西バスターミナル」がまた、
地理的にも見当違いな場所にあり、厄介極まりないのです。
…と、ここまでで「洛西バスターミナル」の方に興味を持つ方はいないと思いますが、あえて誤乗したらどこへ行ってしまうのか、どうなってしまうのか。これを体験してみましょう。
京都のガイドブックで「洛西(らくさい)エリア」というと、金閣寺や龍安寺、嵐山辺りを指している場合が多々ありますが、京都市民に「洛西」と問えば、間違いなく、別のエリアを思い浮かべると思います。
その名もずばり「洛西ニュータウン」。『市バスの』73系統が目指す場所です。
バスは京都駅を出ると烏丸通りを北上し、五条烏丸交差点で進路を西に変えると、五条通(国道9号・山陰道)を一路10km以上先の沓掛口交差点を目指して、ひた走ります。
堀川通りからJR嵯峨野線の丹波口駅の下をくぐり、大阪ガスの工場跡を再開発した京都リサーチパークのあたりは、片側4車線の立派な道路に、緩和された高さ規制の恩恵を受けたビルが立つ「京都離れした光景」ですが、長くは続かず車線減少。
右京区民のたまり場かつ、最初の渋滞ポイント・イオンモール京都五条を過ぎ、
全国女子駅伝や高校駅伝のスタート地点・西京極運動公園を左手に見ると、
すぐに「西京極」というバス停が現れます。地名は、そのままの意味で
「京都の西の極み」すなわち、端。
直後にバスは桂川を渡ります。
しかし、現代の京都は巨大です。渡河後も、ロードサイドの飲食店や小売店が立ち並ぶ「街」は、途切れることなく続きます。
関西のFMラジオで毎日のように読み上げられ、京都随一の渋滞ポイントとして君臨し続ける「千代原口(ちよはらぐち)交差点」は、トンネルによる立体交差になりましたが、相変わらず読み上げが続いています。
バスは左車線の側道へ進み、トンネルを抜けた右車線と出合う辺りで、左手に前方後円墳の史跡・天皇の杜古墳が見えます。ここから丘陵地にかかり、坂道が続きます。
歩道を往く高校生が乗る自転車も、ほとんどが電動アシスト車です。
京都駅からは50分ほどで、運賃は300円。
乗った時間や距離を思うと、安く感じます。
インバウンドが騒がれていた頃から、京都はたびたび中心部の地価高騰がニュースになっています。実際にはそのはるか以前から、盆地で可住面積が狭く、景観を守るための厳しい高さ規制がマンションの高層化を阻むことで住宅の供給不足を生み、構造的かつ慢性的に住宅事情が悪い状況が続いていました。
これを解決するために、半世紀前の1970年代に京都市初の大規模計画住宅団地として開発されたのが、西京(にしきょう)区の「洛西ニュータウン」です。
付近は京都市編入以前、昭和20~30年代までは大原野村、大枝村とされていたところで、竹林と農村が広がる丘陵地でした。
ニュータウンは境谷、新林、福西、竹の里の4つのエリアに区分され、エリアごとに広い街路で区切られた低層住宅と公団住宅、地区センターと呼ばれる商業施設に小学校がセットになっています。まるでシムシティ(昔流行った街づくりのシミュレーションゲーム)で作ったような、美しく整然とした街並みです。
ラクセーヌ(タウンセンター内の商業施設の名前。ネーミングセンスに昭和の香り)のデッキから、ニュータウンの中心を流れる小畑川を見下ろすと、日々市街地で狭い住宅、狭い路地に辟易している身からすると、同じ京都とは思えないような開放感が得られます。
ところが、京都市民の当地への印象はあまり良いものでもなく「さびれている」「交通が不便」というイメージが染みついてしまっているのも事実です。
団地は外壁の塗り直しこそしてありますが、にょきにょきとそそり立つ給水塔に、時代を感じます。
戸建て住宅エリアの新築物件はごく僅かで、相応の築年数を経た住宅が多いです。
これは全国のニュータウンに共通の悩みですが、入居時期が街開きの一時期に固まっているからこそ、近年少子高齢化が急速に進んでしまったことは、ここ洛西も例外ではありません。
計画人口4万4千人に対し、全盛期は3万7千人に達しつつ、現状では2万人に迫るほどの落込みで、65歳以上の高齢化率は4割近く。街を歩く人も、高齢の方が目立ちます。
世代交代ができれば良かったのでしょうが、近年の都心回帰志向からか、子世代の離脱は抑えられていません。
極めつけに、市の財政危機がいよいよ切羽詰まってきたこのほど、ついに西京区の総合計画から、長年の悲願とされてきた「地下鉄延伸」の文字が消されてしまいました。
入居当初は、市が「将来、地下鉄が来る」との触れ込みでPRしたとのことですから、時代が変わったとは言え、住民の方にしてみたらやるせなさを禁じ得ないでしょう。
今から20年ほど前、地下鉄延伸がなかなか具現化しない中、洛西ニュータウンに少しでも近い場所に新駅を、ということで、2km程東方にに「阪急洛西口駅」が建設されたました。
駅名は当然「洛西」ニュータウンの入り「口」という意味です。
しかしながら、駅周辺の水田が徐々に埋め立てられ、イオンを中心に近年凄まじい勢いで高層マンションが建ち並び、「現代のニュータウン」として発展しているのは、本当に皮肉としか言いようがありません。
ただ、そうして急に現れたニュータウンには、安全に歩ける広々とした街路や、豊かな公園・緑地帯といった類のものは見当たりません。
抜群の利便性と引き換えに、敷地いっぱいに詰められた建物と、ことごとく駐車場にされた僅かな空き地、日当たりの悪い、猫の額のような児童公園で密集して遊ぶ子供達の姿に、昭和のニュータウンが思い描いた豊かさと、平成~令和の節操のない合理性の対立が良く表れていて、考えさせられます。
私個人としては、洛西ニュータウンとその近傍に点在する寺社仏閣や農村の風景が気に入っており、度々訪ねています。
知名度が低く、訪れる人が少ないながらも、価値ある文化財が点在している「本当の洛西エリア」。コロナ禍中に訪ねたい京都としても好適です。
引き続きもう少し歩いて、掘り下げたいと思います。