なかなか終息しないコロナ禍に翻弄されつつ、2021年度が始まりました。
皆様は、どのような1年にされますか?
事業への取り組みや、ご子息の受験など、「この1年が天王山」という方も多いのではないでしょうか?
さて、勝負や運命の分かれ目でよく使われる「天王山」という慣用句は、信長を討ち果たした明智光秀と羽柴秀吉が激突した「山崎の戦い」に由来します。
二人の武将が天下人の地位をかけて戦った、文字通り運命の分かれ目。
結果はご存知の通り、秀吉の勝利に終わりましたが、天王山の麓で起こったこの戦をして「天下分け目の天王山」という言葉が今に語り継がれています。
実際のところ、山崎の戦いは激戦とはならず、秀吉方の圧勝に終わり、落ち延びた光秀は居城の滋賀県・坂本城に戻る途中、伏見区小栗栖の辺りであわれ落ち武者狩りに遭い討ち果たされたとの説が有力です。
先の大河ドラマ「麒麟が来る」では、本能寺の変後から光秀の最期に至るあたりは、視聴者の望みが通じたのか、うやむやにされていましたね。
京都駅からJRの新快速に乗って約15分、ちょうど大阪に至る道程の中間で、右手に天王山が迫り、大きなカーブを曲がるために減速します。
このカーブの中に山崎駅があり、駅構内に大阪府と京都府の府境が引かれています。
進路左手では、桂川、鴨川、木津川の三河川が合流し、淀川と名を変えます。
京都盆地の南西端、天王山と向こう岸の男山に挟まれた、まるで天然の関のような地形、行政区でいうと、京都府乙訓郡大山崎町および、大阪府三島郡島本町にまたがるこのあたりを「山崎」と呼びます。
島本町側にはサントリーのウイスキー蒸留所があり、「山崎」のブランドは全国的に知られていますよね。
前述の通り、住所としては少々ややこしいところで、山崎は山崎でも、京都府側は大山崎、大阪側は島本町山崎です。
島本町の市外局番は「京都075」で、郵便番号も大山崎町と共通で「618」から始まります。
家並みも府境を跨いで続いており、越境合併が検討されたこともあるほど、生活圏は一体となっています。
なお、JRの駅は山崎駅、阪急の駅は大山崎駅です。
梅田を除き、両線の駅が最も近接する場所で、歩いて数分で乗換ができます。
大阪・京都の大都市に挟まれ、交通が非常に便利なところですが、平地が少なく大規模なマンションも建たず、快速や特急などが一切停まらないためか、関西人の中でも、さほど知名度は高くありません。
一方で、アサヒビール大山崎山荘美術館や、妙喜庵、聴竹居など、知る人ぞ知る見どころも多くある不思議な地域です(これらについては、稿を改めましょう)。
JR山崎駅脇の踏切から、すぐに登れます。
阪急京都線の最寄りは大山崎駅です。隣に西山天王山駅がありますが、こちらから山頂へはかなり遠回りです。
天王山の標高は270.4mで、終始よく整備された登山道が続き、1時間弱で山頂に着きます。
では、誌上ではございますが「いざ、天王山へ!」
まず見えてくるのは、山崎の戦いで秀吉が本陣を敷いた「宝積寺」です。
桃山時代建立の三重塔をはじめ、仁王門の金剛力士像などが重文指定を受けるなど、寺宝を多く持つため「宝寺」とも言われています。
境内には、秀吉が腰掛けて天下統一を考えたとされる「出世石」なるものがありますが、意外に小さく、拍子抜けします。
三重塔も、秀吉が一日で作らせたとの伝承がありますが、真偽のほどは、果たして。
なお、こちらでは、天王山の登頂証明書を発行してもらえます(1回100円)。
50回登る(50枚の登頂証明書を集める)と、名前の入った記念のグラスがもらえるらしいです。
しかし50回って…!地元の方でないと無理でしょうね(笑)
宝積寺とは少し方向が異なりますが、大山崎山荘美術館への登り口には「本能寺の変」が描かれた陶板があります。
ここを含め、山頂に至るまでの6箇所の陶板「秀吉の道シリーズ」は、堺屋太一氏の監修・解説により、巨大な屏風絵とともに山崎の戦い前後の様子が描かれています。
休憩を兼ね、足を止めて進まれると良いでしょう。
宝積寺または美術館の敷地を抜けると、本格的な登山道となり、その道中は、荷物運搬用のモノラックのレールが付かず離れず並行しています。
これに乗れたら楽だと誰もが嘆息しますが、乙訓地域特産のタケノコ運搬専用。
その希望はかないません。
途中、あべのハルカスや梅田のビル群まで見渡せる「青木葉谷展望台」、そこからさらに10分程登ると、京都盆地や三川合流の様子が良く見える「旗立松展望台」に着きます。
旗立松は、山崎の戦いの際、秀吉軍が自軍の士気を高めるために、老松の樹上高くに「千成ひょうたん」の旗印を掲げたことが由来です。
ここから見える名神大山崎ジャンクションのあたりが、実際に山崎の戦いが起きた戦場です。
そう、誤解しがちですが、山崎の戦いは、ここ天王山そのものを取り合ったわけでは、ないのですよね。
展望台の後も、金門の変に敗れ自刀した「十七烈士の墓」、特徴的な社殿の中を登山道が突っ切る「酒解(さかとき)神社」など、見どころが続きます。
なお、お酒好きの方には気になる名前の酒解神社ですが、案内板には「お酒」に関する由緒もご利益も一切なし。
妙な期待はやめ、危険な二日酔いの登山はやめましょう。
神社を過ぎれば、まもなく山頂・山崎城跡です。
残念ながら眺望はありませんが、城郭後がそのまま広場のように残り、お弁当を広げるハイカーでにぎわいます。
この山崎城は、山崎の戦いに勝利した秀吉が築きましたが、大坂城が完成するとそちらへ移り、わずか1年程度で壊されてしまったようです。
ここからは、来た道を折り返すだけでなく、小倉山を経由して長岡京市側に降りることもできます。
天王山は、ハイキングコースとしてはアクセス至便で、かつ展望も良く「登った達成感」があり、気候の良い時期は老若男女問わずたくさんの人でににぎわいます。
我が家の保育園児達も、ひょいひょいと登ってしまいました。
現代とは比べ物にならないほど困難な時代を切り開いた光秀と秀吉、両雄のドラマに触れるハイキング、意外に近い天王山へ、お出かけになられてはいかがでしょうか。
※昨年はコロナ禍で密を避けるため、町役場から登山自粛が呼びかけられていた時期もありました。お出かけになる前に、確認をお願いします。