間もなく消費税改正という事で、京都市内も官民共に着々と準備が進んでおります。
消費税は、消費者が負担する間接税ですから、増税分は消費者が負担することが原則です。
したがって、税の趣旨に照らすと、事業者は消費税相当分を製品やサービスの価格に転嫁することになります。
観光客の皆さんに影響の大きなところでは、交通運賃や飲食店、宿泊料金、そして観光施設の入場料などが上がることは、致し方のないところです。
京都市営地下鉄 初乗り210円→220円
東映太秦映画村 2,200円→2,400円
京都タワー 770円→800円
京都市動物園 600円→620円
二条城 600円→620円
<据え置き>
一方で、諸般の事情により、据え置きの判断をした事業者もあります。
市内タクシー 初乗り450円
京都市バス 均一区間230円
京都鉄道博物館 1,200円
京都水族館 2,050円
府立植物園 200円
清水寺 400円
金閣寺 400円
銀閣寺 500円
平等院 600円
三千院 700円
高山寺 800円
お寺さん。
値上げされませんね。
ここですかさず「そこ突っ込んじゃうか~」と、きな臭さを感じられる方は、事情通とお見受けします。
京都の寺院を訪ねると、多くの場合「拝観料」という名目で料金が徴収されます。
一般には「文化財の維持管理のための協力金」として、なんとなく納得している方が多いのではないでしょうか。
しかし、歴代の論争を眺めると、この認識には少々齟齬があります。
そもそも「拝観料」という言葉や習わしに、疑問を抱いたことのある方は多いのではないでしょうか。
ビジネスマンたるもの、押し寄せる国内外の観光客の作る遅々として進まない行列のただ中で、この1人1人が500円ずつ払ったら一体いくらになるのだろう?
という素朴な疑問がよぎらぬわけがないのです。
そして、500円という設定が果たして妥当なのか否か、我々は評価する尺度を持ちません。全てのモノやサービスの値段が可視化され、一円単位で比較でき、そのコスパに一喜一憂する生活を送る我々現代人にとってはなおさら、得体の
知れない感じがして気味の良いものではないのでしょう。
さて、当の京都市仏教会は、拝観料を「寄附」「お布施」と解釈しているそうです。宗教心に根差す信仰の心を表すものであると。
その原則に照らすと、消費税の課税/不課税の判断は、「事業として行われる行為が対価性のある資産の譲渡などに当たるかどうか」で判断されるため、拝観料は「不課税」。
だから、10月からも拝観料が上がらないという構造も腑に落ちます。よね?
拝観料をめぐるこういった主張は、消費税導入のはるか以前からなされていたもので、事の発端は京都市の始めた「古都税」への反発があるようです。
京都市は、文化観光施設税/通称:文観税(1956~1964年)、文化保護特別税(1964~1969年)、古都保存協力税/通称:古都税(1985~1988年)の3回にわたり、寺社拝観者に対する税を課しました。
背景としては、急激に増える観光客を迎えるため、道路などのインフラの整備に係る費用を、その受益者たる観光客の皆さんにも負担いただくという名目です。
この意図は、ちょうど昨年10月に導入された宿泊税にも通じますね。
文観税の対象として指定されたのは、年間2万人以上の有料拝観者(入場者)があった市内20カ所の施設で、うち二条城と平安神宮を除く実に18カ所がお寺さんでした。
もっとも、施設管理者が特別徴収義務者(税を預かって納める者)、有料拝観者が納税義務者(実際に税を負担する者)とし、拝観料に税額を上乗せして納税させる「間接税」の形をとったわけですから、これも一種の付加価値税
(消費税)みたいなもんです。
課税対象となった寺院からの反発は強く、参拝者の減少からくる収入減少への懸念に加え、この条例案が当初「観光施設税」という名称であったことも炎上ポイントとなりました。
今となっては数少ない有望産業と目され脚光を浴びる「観光」という言葉ですが、当時は「物見遊山」「単なる遊びの消費」というニュアンスが強く、納得いかなかったんでしょうね。
挙げ句「拝観」は宗教上の行為であり、これに課税するのは憲法が保障する信教の自由を破壊するなどと反発はエスカレート。
拝観料を無料にしてしまったり、ついには信者を除いた一般の参拝者を追い返す「参拝スト」にまで踏み込んでしまいました。
とはいえ、京都市としても、お金がなけりゃインフラ整備もままならず、溢れる観光客を受け入れきれない。ここは折れて「文化」観光施設税とすることで落着をみました。
晴れて時限的措置ながら後の文化財保護特別税まで十数年にわたり、観こ…ヴおっふぉん!文化財への課税が続けられました。
京都市、都市規模に比してお金ないんですよ。
昔から反政権的な政治勢力が強くて…などいろいろ言われますけど、単純に伝統産業を中心に家内制手工業的な零細事業所が多いために法人税が乏しく、古い木造建築が多いうえに高さ規制もあって固定資産税が少ないなど、人口規模に比して税収が伸びない構造的要因があるとされます。
そういうわけで、文化財保護特別税の終了から20年。やっぱりここは取れるところから取らないと、という機運が高まり、観光客を徴税対象とする「古都税」構想が発表されました。
しかし、この古都税、内実はたんなる文観税の焼き直しに過ぎず、ほぼ同じ徴税の仕組み。
さらに文観税終了後、引き続き文化保護特別税を施行する際に、市と寺社の間で「金輪際、もうこういう税金はとりません」という覚書を交わしていたそうで、そりゃ荒れるわな。
結果、法廷闘争にまで持ち込まれ、拝観ストも連発、京都の観光産業はイメージの面でも、客室稼働や飲食物販の面でも大ダメージを受けます。
これには市もたまりかね、条例施行からわずか3年で古都税は廃止に追い込まれました。
この時の仏教会の振る舞いについては市民の間でも賛否両論あり、否、どちらかというと、寺社側は浮いてしまったのかもしれません。
多くの市民、特に仕事に追われる現役世代は、宗教的信仰心から拝観料を納めて日常的に寺院を参る習慣を持ちません。京都ブームは街を潤していますが、皆が皆、関連する産業に携わっている訳でもありません。
仏教会の中も、一枚岩ではなかったようです。浄土宗や浄土真宗大谷派など、檀家が連なり一定の財政基盤を持つ宗派はこの施策には比較的寛容で、逆に「拝観寺院」と言われる、参拝者からの拝観料で成立している寺院は厳しい態度をとったそうで、まぁ当たり前と言えばそうなんですが、やはり仏道を説く者であっても霞を食っては生きられず、経済の論理というのはかくも、かくも…。
さて、現代。
京都市にお金がないのは相変わらずでして、折からのインバウンド客で都市機能はマヒ気味ですが、税収は伸び悩みが続いていました。
そんな中、観光客の方へ課税する方法として市が編み出したのが「宿泊税」。
ホテル業界は、仏教界のような反発をしなかったのか。
単純にそこまでの政治力を持たなかったか。
民泊や府外資本、外国資本などが入り乱れ、結束することができなかったか。
空前のホテル建設ラッシュに、客室余りが囁かれておりますが、売る土地を持たない庶民は今日も遠巻きに眺めるのみでございます。
市によると、今年の宿泊税の税収は実に45億円以上を見込んでいるようです。