焼き物の産地としての京都、その名称としての「清水焼(きよみずやき)」。
耳にしたことのある方は多いと思います。
またの名を「京焼(きょうやき)」と言います。
意味としてはそのまま「京都で焼かれた焼き物」という事になりますが、現在では「清水焼」の方が耳馴染みが良いかもしれません。
というのも、以前は京都市内各所でいくつも窯元があったのが、都市化の影響で次第に清水界隈に集約されたため「京焼=清水焼」と認知されるようになったのです。
ただ現在でも、経産大臣指定の伝統的工芸品としては「京焼・清水焼」として登録され、京焼の名が入っています。
ズバリ、「特徴がないのが特徴」です。
結婚式の引き出物選びの時、清水焼団地のギャラリーで最初にこう聞かされた時は「えぇっ?」と思わず声が出ました。
というのも、全国の他の焼き物産地の多くは「良い土が取れる」ことが起源であり、産地としての発展の要件でもあるのですが、京都にはそれがないのです。
土がないから、原料は基本的に、外から買い付けてくるしかない。
買う分には、何でも選べるので、陶器もあれば磁器もある。
それがゆえに、清水焼には、有田焼や備前焼のように、はっきりとした外見上の共通の特徴がない。
では、なぜ清水焼がブランドとして成立しえたのかというと、それは大消費地近傍の、いわば「地の利」に他なりません。
宮中、寺院、お公家さんと、焼き物の需要に事欠かないこの地で、それは持つ者の教養や美意識だけでなく、格や位までも表す道具として愛されてきました。
そして現代に至るまで、清水焼の生産形態における特徴としての「完全受注生産」「家内制手工業」が続いています。なるほど、この特徴は目に見えない。
大量生産とは相容れない華やかな装飾や繊細な絵付け、象徴的で有力なメーカーやブランドがないとっつきにくさ、全国から集まった職人達の美的感覚と超絶技巧。
素人には、とっても難解で、買いにくい。値段も、相応に、買いにくい。
これが清水焼のイメージではないでしょうか。
ただ、買いにくい、という部分は、実際はそうでもないので、お話を進めていきます。
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五条坂、清水道には、ギャラリーこそ多くありますが、窯元は意外に少なく、一本南の「茶碗坂」沿いにいくつか見られる程度です。
昔はこの界隈に何十という窯元がひしめいていたようですが、単純に手狭なのと、市街化に伴い煙害が懸念されたため、今から50年ほど前に、東へひと山越えた山科区へ集団で引っ越した経緯があります。
地理的には、京都駅から新幹線に乗って東京方面へ向かうとき、最初にくぐるトンネルを抜けてすぐ南側の辺りです。
移転先は「清水焼団地」と呼ばれ、窯元だけでなく、問屋、原材料屋、指物師などの関連業者が集まる焼き物産業の集積地となっています。
とは言え、先にも述べた通り、一軒一軒は経営規模の小さな零細事業所ばかりです。
職住一体の住居を構え、仕事とプライベートの境目が薄い日常の中、自ら(の家)が特化した技術をひたすらに守り磨き、それらを横のつながりの中で組み合わせて一つの製品を作り上げ、産業を形成する。
こうした様子は、織物、花街、映画など京都の他の伝統的で職人的な業界と同じです。
そして、人々の生活様式が変わり、安価な輸入品や洋物に押され、職人の技が伝承されることなく高齢化に任せて廃業していく様子もまた、他の伝統工芸品と同じく悩ましいものです。
今の清水焼団地も、活気が溢れ往来が絶えない様子、とは表現しがたく、ひっそりとしています。
そんな清水焼団地が年に一度賑わい、活気づくのが「清水焼の郷まつり」です。
(ちょうど今週末の開催です)
清水焼の郷まつりホームページ
団地内の道路いっぱいにテントが立ち並び、窯元直売の陶器市が開かれます。
地元清水焼は名のある作家ものから、若手が手掛けた前衛的なものまで。
他にも他地域からの出店やアウトレット品なども含め、多彩な品ぞろえです。
値段も、そりゃお高いものはあるけれど、産地ならでは、お手頃です。
この陶器市、なんと今年で44回を数えるそうです。
単に買うだけでなく、一般の方向けに土ひねりや、絵付体験なども行っています。
さらに今年は、祇園祭に導入されたリユース食器に倣って?露店て提供される食品の器は全部陶器!なのだそうです。もちろん洗って再利用しますので、気に入ったからといって、持って帰っちゃだめですよ。
なお、当社は山科にあるので、近所の社員からは「毎年子供を連れて遊びに行っているよー」との声も聞こえました。
期間中は、京都駅から清水焼団地まで、この時期だけの直通バスが出ます。
お土産探しに、ぜひ寄っていってくださいね。
もちろん、清水焼の郷まつりでない時期も、団地内にギャラリー兼販売店がいくつかありますので、お買い物ができます。
予算に合わせて相談もできますし、怖そうな店主が常連以外は相手しない、なんてことはなく、変に構える必要もないんです。
例えば「ギャラリー洛中洛外」さんでは、京都ゆかりの作家のみにこだわった品ぞろえで、かつリーズナブルな若手作家のものもあり、予算と気分や、好み(焼き物のそれでなくても、色や柄など)を伝えるだけでいろいろ見つくろってくれます。
作家さんの思いとか、窯ごとの特徴とか、初心者には縁遠いお話もいろいろ聞けますし「特徴がないことが特徴」と教えてくれたのもこちらでした。
茶碗なり湯呑なり、最低限ネットで相場を覗いておくことはお勧めします。)
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清水焼は、全国的な知名度がありながら、他の伝統工芸品の例に漏れず、輸入の大量生産品との価格競争にさらされ、厳しい状況にあります。
市況が厳しい上に後継者不足にも悩まされており、家業としても儲からない、生活できないから継がせられないということで、廃業が相次ぐなど、悪循環が続いています。
一部の名の売れた作家は固定客があり安泰であっても、作家の卵はアルバイトと掛け持ちで目利きの目に留まるのを待ちながら頑張り続けるのが普通という、厳しい世界なのだとか。
そうは言っても、清水焼という商品へのアクセスは、一昔前に比べれば随分と開かれています。ギャラリーは先に述べたように、よっぽど敷居の高いところでなければ一見さんでもウェルカムです。
あくまで引き立て役、裏方に回りがちな焼き物ですが、私たち日本人は、茶碗なら一年で500回使うようなヘビーユーザーです。
大枚をはたく必要はありませんが、ちょっとくらい良いものを使うことで、毎日を共に過ごす和食器の佇まいから、日本人が育んできた美しさの感覚を見出したり、買い物を通じて間接的にそれを次代へ引き継いだりしていけたら、素敵なことではないでしょうか。
今度京都に来たら、ぜひ普段使いに、一点物の焼き物を探してみてはいかがでしょう。