二月から、その月の数字にちなんだ話を展開してまいりました。
さて、今回は十。
京都の十と言えば…?
十刹。
でも、廃寺になったものも多いし、一般に知られているとは言いがたい。
十輪寺。
洛西・小塩山の寺院。でも行ったことがない。
地下鉄烏丸線10系電車。
交通局烏丸線所属、緑のラインを巻いた唯一の形式。
1980年の北大路駅開業時に製造された初期型と、88年の竹田開業時以降に製造された編成とで仕様が異なり…という話を延々聞かされるのも嫌でしょうから、無難に「十条通」です。
すみません、四月は四条通でしたから、何だか負けた気がするのですが(何に?)、それでもあえて取り上げる価値はあるような気がするのです。
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京都の通り名の唄、ご存知ですか。
「まる、たけ、えびす、に、おし、おいけ~」
から始まり、
「じゅうじょう、とうじで、とどめさす」
の十条。
この歌詞の「とうじ(東寺)」は、おそらく「九条」を指すので、順番が逆ですね。
(というか、この歌、五条くらいから先の通りの扱いがかなり適当でして、そこに京都人の出生地に係る闘争心を嗅ぎつける程度になると、あなたも立派な京都通…)
また、一条二条と平安大路を数えていく形式で、現代の最大値がこの十条です。
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伏見区の本町通十条から南区の西大路十条まで、延長たった3kmあまり。
大正元年に開通し、戦後すぐに拡幅され、現在では片側2車線の大きな道路となっていますが、平安京の大路では「出てこない」、100年余りの歴史しかない新しい通りです。
この通りを、歩いて散策してみたいのですが、早速、起点近くの京阪電車の鳥羽街道駅がね。妙な名前なんですよこれが。
というのも、京都で「鳥羽」というと、十条より南の千本通界隈から、鴨川と桂川の合流地点くらいの、感覚的には「市内でもかなり南西の方」です。
そこを貫く「鳥羽街道」は羅城門以南の千本通を指しますから、京都駅にほど近い東福寺の南側に位置する京阪鳥羽街道駅というのは、明後日の方角と言ってもいいほど「鳥羽街道ではない」のです。
では、なぜこの名が与えられたかと言うと「鳥羽街道まで出られる道路に面しているから」ということで、その鳥羽街道までつながる道が、即ち十条通だ、という話です。
十条通は「鳥羽通」という異名も持つので、まぇ、そうなんだと言われれば、そうなんでしょうけど、鳥羽通と鳥羽街道は、違いますから。
いっそ「京阪十条」のほうがしっくりくる気もしますがねぇ。
そんな鳥羽街道駅から西に歩みを進めると、すぐに満々と水を湛えた川を渡ります。これが琵琶湖疎水です。
疎水、蹴上から岡崎公園の脇を通って鴨川に向かいますが、ここからの経路はかなり複雑です。
この件は話すと長いのでまたの機会に。
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疎水を渡ると、北側に京都市十条自転車保管所が見えてきます。
京都市は、放置自転車に大変厳しい街でして、特に鉄道駅の周りは、ちょこっと置いとくだけで、問答無用で撤去されます。
その撤去された自転車が強制収容されるのが保管所。ここ十条以外にも、市内に5か所もあります。便利でしょう。なお、保管料は2,300円/回です。
お金を支払った上に、当然帰りは乗って帰らないといけないわけですから、くれぐれも、お世話になりませぬよう。
そして、鴨川を渡れば、阪神高速8号京都線の鴨川ランプ。
ランプ下には、タイムズのバス用コインパーキングなるものがあります。
全国から観光バスが集結する京都ならではの設備ですね。
高架橋が入り組むランプを過ぎると、竹田街道、烏丸通の順に交差します。
烏丸十条には、地下鉄烏丸線の十条駅があります。
付近の沿線には、任天堂の旧本社(現在は本社開発部・ホームページ画像のビルです)が堂々とそびえています。
ここまで見てきた景色は、パッと見ただけではとても京都のイメージを掻き立てません。
むしろ、高架の道路、工場、駐車場、戸建て住宅、マンション、ファミレス、コンビニなど、およそ他府県の方が抱く「古都」「京都」という響きとは対極の風景が続きます。
しかし、これもまた一つの京都の顔とは言えまいか、と私は思うのです。
観光客が群がるよそ行きの姿ではないが、激しい車の往来、黙々と学校や職場へ向かう人々というのは、日本中で見られる光景であり、ここ京都でも例外なく広がっています。
京都市の主要産業は観光のイメージがありますが、製造業、それも半導体や計測機器などの精密機器、電子部品や印刷、食品なども大きなウエイトを占めています。
京都の製造業を支える工場や物流センターなどは、やはり用地が確保しやすく
自動車交通の便が良い南区、伏見区などへの立地が多くなっています。
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さて、任天堂を過ぎると、今度は高架の近鉄十条駅が現れます。
と言っても、日中1時間4本の各駅停車しか停まらない、静かな駅です。
鉄道が少なければ、バスも似たようなもので、烏丸通りから京阪国道までの十条通を走る16系統は、1時間に2本だけの運行。
そして、十条通を端から端まで一貫して走る路線は皆無です。
国道1号、通称京阪国道を越えたあたりからは、空き地や低層住宅が増え、急速に郊外の雰囲気が濃くなってきます。
生八ツ橋「おたべ」のメーカー美十の本社工場が北側に見え、「本来の鳥羽街道」新旧の千本通と交差すると、南側には広大な空き地が見えてきます。
大同マルタ染工跡地です。
市中心部からそう遠くない距離のこの地に、もうかれこれ8年以上、巨大な空き地が荒涼と広がる光景は、なかなかインパクトがあります。
大同マルタ染工は、繊維産業が日本の基幹産業だった頃、大証に上場するほどの優良会社でした。
そのルーツは。京都の町にあった7つの捺染(なっせん=布地に絵柄を染め上げる技術)工場が戦時統合されたもの。
今でも西陣織などの名が残りますが、京都は、本当は染織工芸の非常に盛んな街でした。
でした、というのは、安い外国製の製品や、技術革新が進んだために染物の工程が劇的に省力化されてしまい、特殊な技術や販路を持つ場合を除き、産業として成り立たなくなってしまったのです。
そのあおりで、同社に限らず、多くの工場が撤退や海外移転、廃業を余儀なくされていきました。
十条通は、物寂しい印象を残したまま、「西大路十条」交差点であっけなく西の端となります。
観光の方が期待する「京都らしさ」の要素に乏しい一方で、確かにここは京都であることを実感させる、不思議な通りです。
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十条通東端に近い、阪神高速8号京都線の鴨川ランプまで戻ります。
高速道路はここから東に向きを変え、琵琶湖疎水の手前から、全長2,500m程の「稲荷山トンネル」へ入ります。
トンネルを抜けると、そこは我らがミモザの立地する山科区。
そして、稲荷山トンネル坑口から先、山科区役所がある外環状線との交差点まで3kmほどの道路を「新十条通」と呼んでいます。
トンネルの先の風景は、「旧」十条通に比べると、ビルは皆無で、住宅地が目立ちます。
目を引くのは洛東自動車教習所や明星観光バスの車庫。
川もあるし、畑も見えます。
一地方の幹線道路、といった趣でしょうか。
新十条通は、比較的新しい十条通を差し置いて、さらに「新」を冠する新しい都市計画道路です。
この新十条通の稲荷山トンネルは再来年(2019年)4月から無料開放されます。
そうなると、一挙に交通の便が良くなる山科区中部。
新旧の十条通は、京都の新しい動脈として、これからもますます姿を変えていきそうです。