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何度か町内会と民泊業者の間で話し合いが持たれました。
しかし、現実的には、取り入れてもらえない要素が多かった印象があります。
まず、空き家の改装について。
この辺りは新規建築の際、道路から90cm内側に下げないといけない(セットバック)のですが、元が狭小住宅のため、立て直しをすれば住むスペースがなくなります。
したがって、構造体はそのまま生かし、リノベーションを行うことになりますが、いかんせん古い物件で、耐久性の観点から大きく手を入れることができません。
このため、町内から出たサッシや窓などの要望は軒並み却下。
運営形態についても、広さから考えると1日1組が限度なので、常駐の管理者はコスト面で不可能、火器使用の制限は依頼できても、キッチンをなくすことは施設の可用性を考えると現実的でないとのこと。
(まぁ、全部そちらの勝手な都合で、知らんがな、と言う話ではありますが)
一方で、宿泊施設の営業許可は得るということですから、消防消火設備は基準通りで、廃棄物はすべて事業ごみのため自主回収(町内の集積所に出すことはない)、問題発生時は近隣の常駐在住のスタッフが10分以内に駆け付けるなどの条件を受け、またあくまで近隣住民の要望に応える法的な義務はなく、事業者側の善意で意見調整の場を設けていることなどが確認されました。
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私の町内で起こった騒動は氷山の一角であり、まさに京都中のいたるところでこのような話が頻発しています。
特に、今回のケースが比較的スムーズだったのは、事業者が会社としての体制で臨んでいたこと、適切な許認可を取得すること、いわゆる「合法施設」であることが前提たったことが要因なのは言うまでもありません。
問題は「違法民泊」のケースです。
京都市が5月に行った調査によると、市内でエアビーなどの民泊仲介サイトに登録されている物件およそ2,700件のうち、宿泊業の許可を得ていたのはたった7%。
9割以上が「違法営業」状態であることが明らかになりました。
京都市中心部も、ご多聞に漏れず高齢化の進展と働き盛り世代の首都圏への流出により空き家が増え続けており、遊休資産の活用の観点から個人が民泊に参入されるケースは後を絶ちません。
また、外国人が物件を取得し、又貸しを行っているケースも多く、摘発しようにも権利関係がはっきりしない事例も多いと聞きます。
こういったケースでは、当然近隣への「ごあいさつ」などはありません。
ある日突然、外国人の集団が隣の家で酒盛りを始めた→うるさいので注意しに行ったけど会話が成立しない→翌朝には大量のゴミや吸殻が家の前に散乱している→抗議しようにも、どこにも連絡先や所有者情報がないので、誰に言えばいいの見当がつかない→そうしている間にまた新たな利用者がやってくる…
などといったことが現実に起きています。
そこまで極端でなくても、例えば複雑な路地で迷子になった外国人旅行者を、スマホの地図を頼りに案内するのは、付近の住民にとっては大きな負担です。
宿屋と違い、看板も目印もないから住民だって知らない、ぐるぐる回っても全然わからない、運営者に電話しても出ない、なんてことも良く聞きます。
他にも、深夜に鍵が開かないから何とかしろと、隣家のチャイムが押されるとか、玄関先で煙草を吸われるとか。
なお、仲介サイト側への苦情申し立てや物件の削除要請は、近隣住民が寄せても、各国の行政当局が訴えても、あくまでも「利用者間の話」として取り合ってもらえないそうです。
このあたりの実情を踏まえると、我が町内の業者さんは、よくぞ町内会と一席設けてくれたなとさえ思ってしまいます。
いや、後から入ってくるんだから、当たり前と言えば当たり前なんですが、あまりにも悲惨なケースが目立つため、そりゃマシに見えてしまいます。
一方で、こういった調整も、結果生じた仕様変更もすべてコストなわけで、それすら負担しない、する気のない連中と宿泊料金でガチンコ競争になるのですから、景気のいいうちはいいけれど、参入者が増え供給がだぶついてからが非常に心配です。
不採算で撤退!が叶わない、ずっと住み続ける近隣住民としては。
これから管理らしい管理も行われない物件がどんどん出てくるでしょう。
いつか取り返しのつかない事故(寝たばこや暖房器具の切り忘れ等による失火)が起きなければいいのですが。
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こうした事情を踏まえ、京都市は7月から民泊を始める人も、民泊に物申したい方も、ワンストップで受け止めてくれる「民泊110番」なる窓口を開設しました。
http://www.city.kyoto.lg.jp/sankan/page/0000201777.html
実態としては、寄せられる相談のほとんどが苦情のようで、市民の側の意識も、なかなか追い付きません。
市側も、やりたいのか、やめさせたいのか、態度がいまいち分かりません。
国の方向性を見定めているのでしょうか。
そういう中で、我々世代(30代)くらいの知人の中には、割とカジュアルに「今の家狭くなってきたし、新しい家買って、民泊でも始めよっかなー」なんて口走ったりするものですから、恐ろしいというか、権利意識の差というか、これはひとつの世代間ギャップの物語なのかもしれない、と思ったりもします。
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いろいろと見てきましたが、現状、「赤信号みんなで渡れば怖くない状態」よろしく、法的には「クロ」であることは明らかながら、ペナルティがごく軽い、あるいは全件摘発はあまりにも非現実的なため、まともな施設整備や近隣対応を行おうとする業者が損をする状態になっていると感じます。
これはこれで問題だと思いますが、一方で、錦の御旗とされる旅館業法それ自体が、いったいどれほど有効で有意義なのか、これは時代の変化を受けて移り変わって当然なもののようにも思います。
宿がなく「泊まりたくても泊まれない街・京都」もまた実情なのです。
エアビーのキャッチコピーは「暮らすように泊まろう」です。
第一義に、京都は暮らすには面倒な街です。
ただ、表面的には面倒でしかありませんが、一片の合理性があるのです。
近所の人間関係にしても、防火の夜回りにしても、お地蔵さんの清掃、ゴミ出しのルールひとつ取っても、その面倒を抜きに京都の「暮らし」を語るのは、違和感を覚えます。
むしろ、そういった「庶民の暮らし方」は、日本人が代々生きてきて積み上げてきた文化風俗であり、旅行者にとっては触れる価値のある大切なコンテンツだと思うのです。
国境を超え、あえて高級リゾートばかりには泊まらない旅行者というのは、むしろそういうのが大好物なんです。
もちろん、いろんな人がいますけど、旅行者は、知りたい、体験したいと思うから、このインターネット時代にもかかわらず、わざわざ移動するんですよ。
文化風俗の厚みを、我々もしっかり語って伝えられるようになりたいですね。
この町の面倒をと工夫を、もっと奥深く知ってほしいし、逆に自分が行ったときは、そういうことも教えてほしいと思いますもの。
「部屋貸して儲けよう」も良いんだけど、それだけっていうのは、一抹の寂しさを感じます。
しかし、それもまた「今の日本」の一側面なのでしょうか。