会社からの帰りに四条烏丸に降り立つと、祇園囃子の練習の音が聞こえてきます。今年も祇園祭が迫ってまいりました。
昨年の6月号では「日本一長い祭」として、祇園祭が1カ月にも及ぶ長ーーい祭であること、その起源と期間中に行われる山鉾巡行と宵山以外の数々の行事を取りあげましたが、今回は知名度が高い山鉾巡行について。それも、山鉾自体には優れた文章や写真が多く出回っているので、ここでは、その舞台裏を覗いてみましょう。
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京都には、鉾町(ほこまち)という言葉があります。
巡行する山や鉾を保有する町のことで、古くは「町中(ちょうじゅう)」といわれる組織でした。それは現在の町内会のような団体とは一線を画し、登記や印鑑登録、住民票の管理など、行政機関のような役割を担っていました。独自の予算も、不動産も持っていました。
祇園祭の山鉾は、元来この町中が保有・管理していました。
ところが、徐々に町中の権利は減らされ、祇園祭を支える人的・金銭的基盤は弱体化していきます。これに戦争が追い打ちをかけました。
今なお山鉾は鉾町が保有し、運営するという原則に変わりありませんが、こと戦後の山鉾の曳き手の確保については、困難な状況が続いています。
その変遷を追ってみます。
(1)請負契約
もともと山鉾巡行は来る者拒まずの「参加型」ではなく、各主催者である鉾町が、自前で賄いきれない人手についてはお金を出して委託する「請負型」の行事でした。それは、例年通りのやり方、歴史を重んじる精神からで、この考え方は今でも変わっていません。
旧来は、市周辺農村部の青年会や、特定の職業集団が担っていたようです。
(2)体育会系クラブの学生アルバイト
戦後、旧来の担ぎ手との間に賃金交渉の過熱や、農村部の縮小・散逸などにより、担ぎ手の変遷が始まります。当然、これまで通り、特定の方に請け負わせる体制を続ける鉾町もある中、一部には学生の町・京都ならではの学生バイト、それもクラブ活動に任せるところも出てきました。
どこそこ大の何部はあの鉾…といった具合に決まっていたようです。たしかに、暑いさなか、重い鉾を引き回すのはハードなトレーニングです。
(3)学生アルバイト
大学側のカリキュラム編成の関係で、近年徐々に巡行の日が前期の試験期間と重なるようになってきたため、特定のクラブ活動を通じた人手確保が難しくなり、一般の学部生からも広く募集するようになります。
私も、学生課前のバイト募集掲示板で、何度も曳き手募集のポスターを見ました。が、やはり試験日程との重複で断念しています。
中には自分の単位と引き換え?あるいは、そのコマに見切りをつけ?参加していた学生もいたのでしょうか。
(4)学生ボランティア?(授業・単位)
学生アルバイトが集まらないのは試験日程のせいだ!では、手伝ったら単位をあげれば?という発想、ではないと思いますが(少しあるかも?)、ゼミでの研究テーマとして、あるいは授業の題材として、地域の民俗文化である祇園祭を研究、体験しよう、というカリキュラムが市内一部の大学で設けられています。
私はこのクチで参加しました。巡行ではなく、会所の設営や、神楽の誘導などでしたが、半年間みっちり祭のことを勉強した後でしたので一つひとつの事柄が興味深く、純粋に良い経験をしたなぁと思っています。
(5)一般ボランティア
今から30年前ほど前から、学生の参加と並行して一般公募が行われています。
府外からの参加希望者も多く、また受入側の体制の面からも枠が決まっており抽選になるようです。
事前の研修があり、しっかり歴史を学んでから臨みます。
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今年(平成26年)の祇園祭で欠かすことのできない話題は49年ぶりとなった「後祭」の復活です。これまでは32基の山鉾が7月17日に一度に巡行していたところ、今年は23基が17日(前祭)、復元される大船鉾を加えた10基が24日(後祭)に巡行します。
これは、昭和40年までは前後2回の巡行が続いていたものの、さまざまな交通規制や準備などの労力、鉾町の負担の軽減のために後祭が省略されていた状況を、本来の形に戻そうというものです。
この後祭、皆さんご存知の「後の祭」という慣用句の語源となっています。
7月24日以後、後祭の山鉾巡行と還幸祭が終わった後は大きなイベントがないからという説と、前祭が巡行の基数が多く派手な反面、後祭が小規模だったことからとする説があります。
この諺、今でこそ「手遅れ」「無駄」など、あまり良いニュアンスで使われることはありませんが、ここ最近の祇園祭の混雑を見るにつけ、後祭の方が観客も分散し観覧が楽なのでは?と思います。
大体真夏の炎天下に人波掻き分け20基すべてを見届けるというのが現実的でないことを考えると、コンパクトでゆったり見られる(かどうかは蓋を開けてみなければわかりませんが)後祭が狙い目かもしれません。
なお、巡行のコースは、17日とは逆向きになりますのでご注意を。
ちなみに、今年から復活の大船鉾は幕末に消失したものが150年ぶりに復元されるということです。実は、ほかに2つの鉾が休止中で、総勢35基の山鉾が応仁の乱(547年前)後から続く、正式な数なのだそうです。
だから「復活」。祭自体に人気が出たからと言って、適当に新設できるわけではないんですよ。
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重要無形民俗文化財、ユネスコの無形文化財にも指定される祇園祭の山鉾巡行。
祭りの表向きの形は変わっていないようで、運営の裏側は時代や社会に合わせ、めまぐるしく変化しています。
変わっていく部分、変えてはならない部分、複雑に折り合いをつけながら今年もこの街は祇園祭のシーズンを迎えます。