大物女優の薬物騒動で大きな話題をさらった今年の大河ドラマ「麒麟が来る」。
2020年、節目の年に、歴史上謀反人や反逆者としてネガティブに捉えられがちであった明智光秀をあえて取り上げる「意欲作」です。
1月半ばから無事に?スタートし、はや4回を数えますが、近現代を描いた前作「いだてん」からの揺り戻しと言いますか、派手な合戦シーンは久々故か、目を見張るものがあります。
物語の舞台は岐阜、明智の庄から始まり、鉄砲を探す旅の途上でさっそく京都も登場しましたが、まだ序盤であり、光秀の拠点はまだしばらくは岐阜です。
ただ、誰もが知る歴史上の一大ドラマ「本能寺の変」は、言うまでもなく京都での出来事です。
権力も名声も共に絶頂にあった光秀が、当時の居城・亀山城(現在の京都府亀岡市)から毛利攻めの軍勢を率いて進軍し、突如「敵は本能寺にあり!」の雄叫びを上げるころ、つまり今年の大河ドラマがクライマックスに近づくにつれ、拠点であった「亀岡」への注目度が高まることは間違いないでしょう(あとはドラマそのものの評判次第)。
さて、大河ドラマと言えば、昨今は地域おこしの一大チャンス。
オリンピック程とはいかずとも、全国各地で誘致合戦が繰り広げられているのはご存じでしょうか。
とは言え、具体的に何をすれば誘致できるのかというと定かではなく(あくまでNHKが決めることなので)、NHK上層部への陳情、史料などの情報提供、地元の機運醸成のためのPR活動など、大河ファンでない人からすると税金の無駄遣いと野次の一つも飛んできそうな内容ばかりです。
ただ、侮るなかれ、大河ドラマはひとたび放送が始まると丸々1年間も継続する上に、アニメや民放ドラマのように完全なフィクションではないため、登場人物にまつわる史跡や墓、生家などのいわゆる「聖地」が豊富に存在します。
特に昨今は「聖地巡礼ツーリズム」が花盛りで、その観光客誘因効果は高く、経済効果は数百億円にのぼるとされています。
もちろん、カネだけではなく、住民に対する地域の誇りや愛着の醸成、定住促進などの効果も謳われてはいます。
(よほどの歴史好きでなければ「あの武将が住んでいた町に私も住みたい!」とは思わんでしょうが。)
そこで、京都・兵庫にまたがる丹波地域は、観光地としては地味。(失礼!)
ながら、明智光秀、細川ガラシャ、細川幽斎、細川忠興など、戦国史上の有名人に多く縁があることから、かれこれ10年も前から「NHK大河ドラマ誘致推進協議会」を組織し、自治体横断で誘致運動を続けてきました。
その甲斐あってなのか、どうなのか、そこのところはよく分かりませんが、ともあれ無事悲願が成就しました。
いやぁ、麒麟、来ちゃいましたね!
大河ドラマの誘致に成功すると、撮影に利用した衣装や俳優のコメント、エピソードや、地元の歴史資料を展示する「大河ドラマ館」を設置できます。
これは主人公ゆかりの地に設けられることが通例で、昨年の「いだてん」は、金栗四三の生誕地・熊本県和水町、一昨年の「せごどん」では、もちろん鹿児島市でした。
そして、今年の大河ドラマ館は岐阜市に加え、われらが京都府・亀岡市の二ヵ所となりました。
なお、亀岡側は今年完成したばかりの「サンガスタジアムbyKYOCERA」の一角に立地しています。
駅前徒歩3分の好立地にある最新鋭のスタジアムは、構想から25年を経て、環境への影響などで賛否もありながら、建てると決まればあっという間に建ちました。
京都初の球技専用スタジアムで、日本代表戦などの国際試合や、去年話題になったラグビーにも対応しています。
こけら落としの試合が2月最初の日曜日に行われましたが、スタジアム名にもなった「京都サンガFC」は負けてしまいました。
悲願のJ1昇格なるか?と言われ続けて早10年。
こちらには一向に、「麒麟が来ぬ」。
既に少し触れたとおり、亀岡と光秀の縁は深く、なによりも光秀が亀山城を築き、その城主であったこと、治水や築城などの内政手腕に優れ、現在の亀岡の礎を築いた人物として、市民からは高い評価を受けています。
城下には光秀の銅像が立っています。
全国的には、光秀=主君を討った謀反人のイメージであったとしても、亀岡をはじめ福知山などの丹波地域では崇拝され続けている、というギャップが面白いところです。
ちなみに、亀岡では毎年5月3日に光秀まつりが行われ、500人もの武者行列が市街地を巡行します。
次でもう「49回目」ですよ。亀岡市民の光秀好きは、筋金入りです。
そんな亀岡市を、府外の方に簡単にご紹介しましょう。
2019年12月の段階で人口8万8千人、京都府下では京都市、宇治市に次いで第3位の規模です。面積は224.8km2で、大阪市域、関東でいえば霞ケ浦とほぼ同等の広さです。
平成の市町村合併ではどこともくっつきませんでしたので、もともとかなり広大な自治体です。
隣接している京都はもちろん、大阪あたりまではギリギリ通勤圏でしょうか。
ベッドタウンとして鉄道沿線の人口が増えているのは、全国の他の地方都市と同じです。
駅近くにはマンションが建ち並び、高速道路沿いに団地が広がっています。
一方で、広範な山間部も擁し、過疎化が進んでいます。
さて、この時期一番の亀岡名物と言えば、「霧」でしょう。
地形的に、大堰川(桂川)が亀岡盆地から保津峡にかけて急激に狭くなるため、立ち込めた川霧が行き場を失くして亀岡盆地に貯まるのですが、これが本当に凄まじい。
ロンドンも真っ青、一面の濃いもやで、5m先もぼんやり。
電車は徐行でダイヤ崩壊は日常茶飯事。髪の毛は水滴だらけ。
おまけに昼まで天気が分からない。
もうどうしようもないため、諦めるしかありません。
数年前に、同じ丹波の竹田城が「天空の城」として有名になりましたが、雲の上に浮かぶ城の姿の写真、ご覧になった方も多いと思います。
あの雲が、下から見ると霧なわけです。
亀山城は山城ではないので天空に浮かぶことはありませんが、この霧(=雲海)に覆われる亀岡盆地を眺めるお立ち台が先ごろ完成したようで、その名も「霧のテラス」。
<ライブカメラ>
http://jmp.c-rings.net/u.aspx?c=13hvkjdnM1f2xN1UvspCSAtWuHI%253d
<霧の映像>
https://jmp.c-rings.net/u.aspx?c=13hs5wh6M1f2xN1UvspCSAtWuHI%253d
北海道はトマムくんだりまで行って、早朝に起きて雲海テラスに上るゴンドラの長蛇の列に並ばずとも、超お手軽に絶景がお楽しみいただけます!
(ただし帰りの9号線の渋滞は諦めてください。)
そんな亀岡で育った方は、自虐的で(何かとイジる京都人のせい)、おおらかな(やっぱりイジり倒す京都人のせい)人が多い印象を受けます。
さて、次回は光秀の築いた亀山城や、市内の見どころを訪ねます。
なぜ、城の名は「亀山」なのに、町の名は「亀岡」なのか。
なぜ、京都市民は、そこまでして亀岡をイジり回すのか。
なぜ、亀岡の人は亀岡が好きなのか。
答えられる問いも、答えられない問いも。
みんな大好き、亀岡、亀人(かめじん・亀岡に住む人の事)。