桜が終われば初夏、新緑が見ごろを迎えます。新芽が薫り、空気がおいしく…森林が恋しくなる季節です。
今日の話題は、緑豊かな周山街道沿いの静かな山村、中川地域と北山杉です。
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京都盆地を囲むようにして控えるそれぞれの方角の山地のことを、人々は「東山」「北山」「西山」と、おおざっぱに言います。
ただ、「北山杉」と呼ばれるブランド材が育てられる地域は決して広くなく、清滝川とその支流に沿う、現在の右京区と北区の山間部に集中しています。
「北山杉」に一度でも触れたことのある方は、よく整えられた一直線の杉の木がそそり立つ森林の風景を思い浮かべるのではないでしょうか。
根元から7、8割ほどの高さまで、一切の枝が取り払われ、地面と垂直に揃って立つ様子は、日本画の世界そのものです。東山魁夷が何度もモチーフにしたのも頷けます。
北山杉が産する中川地域とその周辺には大きな川がなく、筏を組んで流すといった大規模な輸送手段がありませんでした。20世紀に入って周山街道の道路が付けられるまでの間、女たちは男たちが山仕事へ行っている間に人力で木材を都まで運び、米などの食料と引き換えてくる役割を担っていました。
また、切り出してきた丸太は、地域内にある「菩提滝」の滝壺の砂を用い素手で磨き、なめらかで美しい木肌に仕上げられました。このように丸太を磨くのも女の仕事でした。
男女が共に働きづめで、30~40年もの間丹念に枝打ちしながら育て上げ、切り出し、皮をむき、乾燥させた後に磨き上げ、その手で運び出す。そしてまた植林をし、新たな30年が始まる。京都北山の林業は、原生林から大木を切り出して次々に川に流すという、大規模な林業生産地の風景とは大きく様相を異にしていました。
なお、この中川と下流の梅ケ畑、上流の小野庄の3カ村は、京都御所に木材や薪炭、松明などを献上する「供御人」としての地位が与えられており、そのことが北山杉の繊細な仕事ぶりに影響を与えたのかもしれません。
一方、安土桃山時代の都では、千利休により「茶の湯」文化が隆盛し、舞台となる茶室に好んで北山杉が利用されるようになりました。
利休の提唱する茶の湯とは、それまでの高価な器への傾倒を戒め、茶会の本来の目的、即ち内面を磨き人をもてなすという行為そのものに焦点を当てようとするものでした。
こうした考えの中から、数寄屋(すきや)造りと呼ばれる茶室が生まれます。
その特徴は華美な装飾を排し、否が応でも相手に意識を集中させる空間を意図した「質素なさま」にあり、まさに今につづくわび・さびの美意識の源流となりました。
その床の間に床柱として好んで設えられたのが北山杉の磨き丸太でした。
今でこそ高級材ととらえられる北山杉ですが、白木の素朴な表情、一見質素な中にも、磨かれ独特な輝きを放つ木肌は、細部に光るこだわりを粋とする茶人の心を捕え、そこに芸術的な価値を見出されたのです。
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北区中川町は京都駅からJRバスで約一時間、紅葉の名所・高雄、栂ノ尾を過ぎ、鬱蒼と茂る杉木立の中を抜けた次の町です。町といっても、狭い谷底のごく限られた範囲に家々と製材所、農協、学校(数年前に閉校)、役場の出張所が密集する小さな村といった風情です。
現在、国道の本線は長いトンネルでこの地域をバイパスしますが、バスは旧道に入り、狭い谷筋の道を民家の軒先をかすめながらゆっくりと進みます。
町は清滝川の清流に沿って細長く続きます。京都側から行くと川の西岸、道路から橋を渡して続く建物の中に、磨かれた白い丸太が幾本も立てかけてあるのが目に留まります。
戦後、著名な建築家により近代数寄屋建築が発表されると、北山杉の需要は最盛期を迎え、杉林は京北、日吉と、丹波のはるか山奥にまで広がりました。
しかし、残念ながら最近は家庭から和室や床の間が消え、また、構造材としての木材は安価な海外製品入ってきたことにより需要が低迷。過疎化も相まって、現代の北山界隈の山村はどこもひっそりと静まり返っています。
とはいえ、機械化や省力化の進展もあり、手入れされた山肌と特徴的な美林は健在です。
呉服屋の前に捨てられた姉・千重子と、生き別れの妹・苗子の物語ですが、生みの親が中川で林業を営んでいた設定でした。苗子は中川に留まり、貧しく厳しい山村の暮らしに翻弄され、不自由なく育った千重子の対照として描かれました。
映像化も盛んに行われ、山口百恵さん最後の主演映画として、また最近では2005年に上戸彩さんがTVドラマで、共に姉妹を一人二役で演じました。実際に北区界隈でのロケもされています。
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わび・さびの意味、正確に説明できますか?
さび(寂び)とは、見た目に対する言葉です。世のものは全て時間がたてば、経年「劣化」の憂き目に遭います。しかし、私たちは時に使い込むほどに味が出る、という解釈をする時があります。この時感じる独特の美しさを指して「さび」と言います。
対するわび(詫び)とは、さびれや擦り跡などの汚れを受け入れ、そこに美を見出そうとする「考え方」を指す言葉です。
即ち、「さび」に美しさを見出す感覚・感性が「わび」というわけです。
今でも、北山杉を用いた往年の数寄屋建築が市内の桂離宮や修学院離宮、島原角屋などに残っています。日本人の感性「わび・さび」を改めて探しに行ってみてはいかがでしょう。